小天地
大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ
汀鴎
『みづゑ』第五十四 P.20
明治42年9月3日
月
滑川に沿ふて砂道をその川口に出づ、材木座小壺あたりの丘の、薄墨色に輪廓淡く、海ぎは白く水蒸氣たちて、うちよする浪のねも幽かに、みちて圓き月は中空にかゝり、湖水にも似て鏡の如く静かなる水面を照らす、をりをり小さき音さしてその影を亂すは、細鱗のおどるにやあらん。月に背きて稻村ケ崎の方に向へば、天地夢の如き中を、白き衣つけたる人影の、三々五々さまよへるを見る。(八月一日)
曉
はだ寒きに不圖目さめぬ、欄間の紙障子ほの白ければ、はや曉に近きなるべし、木梢の露の地に墮つる音をも耳に入るべき靜かさの中を、たが家に飼へるか、鈴蟲のりんりんと清き聲してすだくをきく、この世のものにもあらぬ心地のせられて、ゆめうつゝのさかひにさまよふこと少時、やがて鶴ヶ岡の森に蜩のなく音はげしく、欄間の紙にいつかうす紅ゐに變りぬ。(八月三日)
朝
あはき霧は谷々をこめて鎌倉の地も常よりは廣ふなれる心地しつ。露ふかき小みちをたどりて知れるかたをおとづれぬ。とざゝぬ門に沿へる低き四ツ目垣には、色あざやかなる大輪の朝顔美はしう開けり。箒目正しき前栽にはコスモス葉鶏頭など秋まち顔に勢よく伸びたり。海のかたにゆかばやと、主人に送られて細徑を歩めば、いま摘みしか、茄子白瓜の冷たき泥にぬれて古き笊のうちにあり、かなたの畑には人の影うごきておりおり木鋏の音のみたかし。(八月七日)
晝
サンフラアのみひとりさかえつ。街道は日に輝きて眩ゆく、道ゆく人の影まれに、鳶色に暗き農家の背戸には、もろこしの葉の若緑目を射るばかり鮮やかに、ミンミン油蝉もさすがに鳴を靜めて、今や炎帝の猛威は其極度の力を萬象の上へ加へぬ。
(八月五日)
宵
銀杏の下影おぐらき石階を登れば、八幡宮の社前に出づ、地高ければ夕風ほのかに通ひて涼し。畫は群れ飛ぶ鳩も、いまは塒にありて夢をや結ぶらん、社殿奥深く神々しきあたり、一穗の燈火の朧ろげにあたりを照せるを見る。(八月九日)
夜
友を停車場に送りて雪の下の宿へ歸る、夜は十一時に近し、凉氣身にせまりてうら寒く覺ゆるまで心地よし。仰げば大空に横はれる天の川あかるく、はやくも秋の使ひは其姿を見せぬ、八幡社内、杉木立くらき中に動くは荷葉か、その葉を白うする月はいま東の山の端を離れんとすなり。(八月七日)