フレスコの話


『みづゑ』第五十四 P.21
明治42年9月3日

 この話は餘程以前に辰野工學博士が演説せられたもので、フレスコといふ技術の如何なるものなるかを知るに便なれば、こゝにその大要を摘む。
 フレスコは伊太利が元であつて、歐洲に弘まつたもので、其起りは紀元千三百年代からして始まつた樣である、そしてこのフレスコに、家屋装飾用に使用する處の装飾的美術の一ッであつて、美術家の手になるものである。
 フレスコといふ技術は、即ち水彩畫の一種と譯して宜しい、この技術を二種に分つて、その一を伊太利でエイフレスコといふ、私は正則流のフレスコと假に譯す、第二をフゼツコーフレスコといふ、フゼツコーとは乾いたといふ意味で、私はこれを變則流のフレスコとして置く。
 正則流のフレスコは、多く壁若くは天井等の粧飾に用ふるもので、其製作の順序は、最初に壁を一面に俗にいふ灰泥を以て塗上げ(これは左官方の仕事)、其壁が乾かぬ間に、一種特別なる彩色を施して、人物なり景色なり、或は其他の物象を畫く、これは地の乾かぬうちに繪具を施すのであるから、其色は壁の内部に浸潤して容易に剥げぬ、丁度種々の色ある灰泥を以て、繪を畫いたのと同樣な結果になる、この濕れてゐるうちに畫くといふことのために、壁の地は畫をかく一日分丈けを毎日塗るので、若し畫ききれずに地の壁が殘つた時は、それを剥がし取つて仕舞ふ、夫故今日描いた處と、明日描く處とは、其部分の間には自から幾分の境界が立つ、それによつて、このフレスコを描くには、幾日間かゝつたといふことが後日にでも分る。
 變則流のフレスコといふのは、一日に全體の壁なり或は天井なりを灰泥で塗り上る、そしてまだ濕つてゐる部分からして畫いてゆき、あまり乾いた處は刷毛で水をうつて、其上に彩色してゆくのである。歐羅巴、殊に伊太利地方では、第一の法は頗る手數を要し、費用も嵩むため、重に第二の方法を用ひてゐる。フレスコの多く用ひられてゐるのは、伊太利が第一で、それに次ぐは英吉利である、佛蘭西には皆無といふてもよろしい。日本には大和の法隆寺にある。
 大要は以上の如きものであるが、も少し細かく説明をしやうなら、先第一に地になる壁を塗ることから話さねばならぬ、このフレスコを施す處の地は、伊太利では丈夫なる段積の石壁である、又は煉瓦を以て築かれてある、ケンチンシの石材で築いたのもある、何れにしても壁が厚いと乾きが遲くして、いつ迄も濕氣を帯びてゐるのは忌むべきものであるから、不適當である。次に石よりは煉瓦の方が、面が粗なるため、灰泥がよく附着する、そこで此装飾術に適したものは、煉瓦の一枚半位ひの厚さの壁が一番適當である、それから木ズリの地に灰泥を塗つてこの術を施すことも出來る、伊太利にはこの木ズリの壁は無いそうだが、其代りに葭を簾のやうに編んで、天井に打つけ、其上に灰泥を塗る、これは古いものにもあり、中古にもある。このやうに、殆ど何の材料の上にも施すことが出來るから、日本などでも、何處でもフレスコを用ふる場處がある。
 原料として、石灰がフレスコの土臺である。フレスコに用ふる石灰は、純粋なものでなければならぬ、伊太利で云へばカララーの蝋石でなければならんと云ひ、まれ或説では、純粋でなくともよい、多少の分子が混つてゐてもよいといふ。羅馬邊では、トラベルテーノウといふ一種粗末な蝋石を以て、此地に用ひてゐるが、私はやばり純粹の石灰石で、汚物の混らない、石の結晶があまリ疎くない、目の積んだものがよいと信ずる、これは地の壁にもなり、又繪具として畫く材料ともなるのである。
 左官がこの石灰を用ひる法は、先づ生石灰を置いて、其上に水をかけると、化學的作用で、元凝結してゐたものが細末になる、これを蒸灰と稱へる、この蒸灰を、更に一種の朝貌形をした箱に入れて、水を混じ、液體とし、充分に混ぜて水を漉す、すると、汚物は箱の底に殘り、水ばかり箱から出るといふ仕掛けにして、土に穴を堀つて★汁を抜くために其中へ右の石灰水を注ぎこむと、石灰は下に沈澱する、其水を掬出すといふ趣向である、此石灰を土中に留置くのは、八ヶ月乃至十二ヶ月といふ説もあるが、今では二ヶ月で充分だといふ論が勝つてゐる。この方法で出來たものが壁の下塗になる。
 上塗の石灰に、右の土中にある石灰を、土のつかぬ樣に掬ひ出して、幾個も桶を並べて置て、それに入れ、更に水を混入して、極細かい網で漉す、漉したものは、他の桶に入れ、又水を入れ、沈澱させ、其水が澄むと飜し、幾度も此方法を行つて、結局水の無くなる迄やると、コンデンスミルクのやうになる、これを上塗に用ひる。また彩色用の白い繪具にもする。
 さて、前に述べた下塗用の石灰には、石灰石一分と砂二分との割合で、調合して使用する。次に上塗は、前の精製したものに、極稜立つた、粒の★い、餘り黒色の帯びてない、鹽氣のない、砂を混じて用ひる。砂が黒いと彩色してから汚點が現はれる。塗り方は、下塗をして充分乾いて後に、再び水をうつて充分に濕し、上塗をかける。此上塗に用ひる鏝は、鐵は酸化して赤い斑紋が出來、其上どうも壁を押付過て、面が緻密に流れて、フレスコを施すに不便を生ずるからいけぬ、木かガラスで出來た鏝を用ひる。
 壁の地は、フロレンスで用ひた特別の方法がある。下塗が石灰と目の粗い砂とを、凡そ二分位ひの厚さにして、中塗は石灰と火山灰とを混ぜたもの、上塗が石灰と蝋石の彩を混ぜものとあるが、分量は分らぬ、或人はこれはフレスコではない一種特別の粧飾法だといふ。
 左官の仕事は以上で濟んで、是からが美術家の仕事になる、さて上塗が濟んだら、凡そ十五分か三十分位ひを置て着手しろといふ、其着色には三つの階級がある、それは第一に着手する彩色に、後に自由に直すことの出來る繪具を用ひる、第一の彩色を施して後、半時間或は一時間位ひ措きて、第二にかゝる。そしてモ少し密な彩色をする、其後の時間を經て第三に移り、仕上の繪具を用ひるのである。
 フレスコに用ひる繪具については、最初板の上で混じた時分と、壁なり天井なりに用ひた後の色合とは、大に相違するもの故、美術家が欲する色が出ずに、豫想外の結果が生れる、此點は初めに大に注意が必要である。
 次にフレスコに用ひる繪具の原料は、白い色は石灰石、其他の繪具は、鑛物或は土質を持つた繪具を使用すろ事になつてゐる。動植物から製した繪具に、石灰のために變色する恐れがある。さて如何なる色が用ひられるかといふに、鳶色にはアンパー、黒色ににコロン、黄色にはオー、赤色にはバロントウオーカといふやうな色が適してゐる、其他種々な色がある。
 次に道具である、筆は豚の毛で製した、油繪用よりも少し長いものが適してゐる。次に繪具を薄める處の水は、鐵氣のあるものはいけぬ、蒸餾水がよい。
 さてフレスコといふものは、色の透明を尚ぶものであるから、深き注意を此點に拂はねばならぬ、若し此注意が不足であると、出來上つてから非常に汚ないものになる、それから、保存期限は隨分永いもので、現に數百年前に拵へたものが、今日猶依然として殘つてゐる、それは金のモザイクに次いて、永いものだといはれてゐる。
 終りに、このフレスコに對して有害なものを少しく擧ぐれば、第一に濕氣、雨もりなどは最も惧るぺきものである。或は下から騰る濕氣もいけぬ、これを防ぐには、アッスパル抔がよい。第二は、繪の表面に凹凸のないこと、凹凸があると、凹んだ處に自然埃が溜り易い、それから變色を來す。第三は烟、烟草の烟りでも惡るい、第四は直接に受くる太陽の光線、これだけは是非拒がねばならぬ。(以下略)

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