ラスキン奇談

M、O生
『みづゑ』第五十四
明治42年9月3日

 ラスキンは實際の禁酒家であつた。ところが或る日宿の給仕にシヤンペンの半ダースと深い大きい皿を持て來いと命じたので給仕人は大に驚いた。さて命令通りに整へると、ラスキンは更にシヤンペンを靜に皿中に注ぎ入れて瓶を空にせよといひ付けて、自分は熱心に泡立ち沸騰する皿の内を凝視してゐた、次の瓶も其通りにさせて、遂に六本の瓶を空にしてしまつた。
 其時にラスキンは給仕に向つて、「此酒はお前にやる、勝手にするがよい、併し一人で飲で仕舞はぬが宜しい」といつた。
 昔有名な畫家が、水中に小石を投げこんで水面に起る波紋を見て日を暮したといふ談があるが、ラスキンは、かくまで金と時間とを費してシヤンペンの沸騰するを見て畫學上の研究をしたのだ。
 ラスキンは人爲的音樂と自然の音樂とのリズムを比較せんと企てゝ、多大の費用を投じて倫敦から樂隊を呼び寄せて、屈吹き凄み怒濤逆巻くフオルクストーンの海岸に奏樂をさせた。

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