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『みづゑ』第五十四
明治42年9月3日
□原色版『初秋の花』はワツトマン八ッ切大のスケツチに御座候。『臺灣本島人の顔』のスケツチは木炭紙四ッ切大にして、夜間の寫生のよし、此分製版少しくヤリ損★頬のあたりの色出合はず、筆者及讀者に申譯なき事に相成候
□石川欽一郎氏に此の程臺北學院に於て「色彩」「位置」「遠近」「明暗」「寫生心得」「概論」等水彩畫講話を試みられ候、右の大要は來號より本誌に登載可致候
□本號は八月十日を以て編輯〆切に致候ため、鎌倉及長野に於ける講習會の記事は次號迄御待下され度候、こゝには双方共極めて盛會なりし事を御知らせ致置候
□本誌缺本、初號より二十一號迄及二十九、五十、五十二等に御座候四十二四十九、五十一等は一二册を剰し居候、近刊の分往々品切を生じ候間御入用の方は至急御注文被下度候
□本誌品切の分再刊御請求あるも、着彩版は到底出來難く候間、再版不可能と御承知ありたく候
□毎度申事ながら注文用紙、振替貯金通信文欄等へ本誌原稿質問等御記入相成候分はすべて没書と可相成候。寄稿類は必ず別紙に認められたく、假名は平假名に願上候。また西洋紙にて表裏兩面へ細字にて認めしものも迷惑致候
□御寄稿にして是迄登載せざる分澤山有之候、それは紙面の都合にもよれど、時節の關係も有之候。春の出來事を夏時分御投書になると、掲載は秋になるといふやうな次第で、このやうなのは不得止來年の春迄保存し置く事と相成候
□未完の御寄稿は登載せざること可有之候
□讀者諸君より暑中見舞状を寄せられし方多し、幹部諸員無事斯道に盡し居候間御安心下され度、爰に御厚志を謝し申候