みづゑ第八十四號要目
『みづゑ』第八十四
明治45年2月3日
興津の春(水彩畫原色版) 故大下藤次郎ナポリ(同) 南薰造
水仙(同) 眞野紀太郎
淺間神社(同) 赤城泰舒
水彩繪具の談 石川欽一郎
偉大なる畫とは何(四) 矢代幸雄
アルブラバン古城(毛筆畫木版) 丸山晩霞
飯坂鹽原 故汀鴎
眞鶴崎より 三宅克己
バレツト評判記 ヱス、キタヤマ
信濃高原の雪 茨木猪之吉
去年の日記 六郎
年賀繪ハガキの色々(寫眞版)
全羅 南道の朝鮮 北山紫巒
報告 寄書會告 一月の美術界
『みづゑ』は故人の愛兒であつた、が慈愛深き親は兒を殘して突然逝つた。『みづゑは果して育たう乎||誰も等しく案じた疑念である。けれども『みづゑ』も程なく八ッになる、孤兒は孤兒でも無事に育つれ孤兒である。さうして病身でもなければ至つて健に育たうかと思はれる、のみならず尠なからず世の中に同情を持つて居る愛くるしい兒である。將來は母の膝下で、多くの同情者にょつて保護を受け父の素志を繼ひで人に成らうと云ふ、私は此の健氣な一孤兒の爲にあらゆるものを犠牲にするを吝まぬのである。されば孤兒が前身を知るの士は父が生前より、より一層多くの同情を以て此の兒の生育を間接に直接に擁護せられむ事を望むのである (S、K)