遺稿の中より 嬉し記(故大下氏遺稿)
『みづゑ』第八十四 P.21-22
明治45年2月3日
嬉しと思ひしことは、忘れがたきものなり、殊に眞の愛によりて色どりせられし嬉しき事は、常に忘れがたきものなり。
駒込を通るごとに吾の忘れんとして忘れがたきは、この種の嬉しき事なり。夏の日、吉祥寺の前を王子の方へと過る人は、今も尚は道の傍に『新むぎこがし』と筆太にかゝる紙はたの、風に飜るを見るなるべし、此所をすぎて十數町、妙義坂に不動堂あり、今は堂守る人のありやなしや知らねど、吾幼なかりしころは、日ねもす燈火を絶たず、あたりに信心の人も多くありて、吾父君も其一人にましましき。
ある年の夏、吾は父君に代りて片日影の禺來し頃、この堂に詣でんと家を出でつ、あたりの田舎家めきたる景色の、こども心にも面白く覺えて、みちもはかどらず。詣で終りて歸り路につきし時は、早や日も西に入りぬ。白山下は其頃まだ一面の田甫なれば、ひとり途の淋しさの想はれて、すず風吹く夕暮なるに、尚汗ぬぐひつゝひたすらにあゆみをいそぐに、不圖目につきしはかの紙にたなりき、日頃父君のいたく好ませ給ふを知るものから、購ひ歸りて喜びの面存見まつらんと思ひしが、今日しも折角に請ひうけたる吾袂のもの歸るさには、あれ買はん、これ求めんと來るみちすがら樂しみにせし、その寳を空しふするは、何となくのこり惜く、とにかくと思ひわづらひ知らず知らずゆき過ぎぬ。
吾は歩みをとめぬ、思ひ起せば吾の家に在るとき、外より歸りませし父君の、たまたま家土産を手にしたまふを見し時に、吾心に唯嬉しさにうたるゝのみ。まして其物の吾好める品なる時に、いひしらず出暑ばしく、悟られまじとつとむるも笑顏はつゝみがたきものなり。父君と吾れ、形に於てこそ違へなど心に異りあるべき、吾樂しみはまたの日、滿すことを得べし、この家土産は再びすることかたし。と、かく思ひかへして今來し道へと歩を轉じぬ。
ただ一っ、低きそらにあらはれし星は、やうやくに光をまし、兩がはの家々に、ニッ三ッ燈火ひらめき、誰家の蚊遣か立のぼる煙かすかに、次第に黑みゆく一むらの林をこして、をぼろげに白きもの見ゆるは、かの紙旗なり、詮なき物思ひに遠く行過しを悔ひつゝ、漸くにいたりつきて、薪らしきをゑりもとめ、こたびはさきにも增して道をいそぎぬ。
只一ときも、早く父君を喜ばせたく、心のうちに父君の笑顏のみ描きて、ひとり樂しみつゝ、いつしか田甫も越へて町にいるに、漸く心づきて俄にあゆみをゆるめ、さあらぬさまにて吾家の門をいりぬ。
唯一袋の麥焦し、父君の喜び給ひしは、吾思ひしにも勝りて、よくこそ氣のつきたれ、香り慕はしく思ひし折なれば、ふさはしからぬむくひなれどと、うち笑みたまひて、吾日頃望める、目本外史買ふ事をゆるし給ふ。
誠に嬉しといふ事を、吾のふかく感ぜしはこの時なり。此夜の夢は、吾を或る本屋の店さきに立たしめたりき。