下關洋畫研究會展覽會(報告)


『みづゑ』第八十四
明治45年2月3日

 美しい關門海峡の一角に於て、新春の五、六兩日、洋畫展覽會を開催した。今度の企ては、豫てから計畫してあつた譯ではなく、斯う云ふ氣運に向つて居る矢先へ一人、二人の小さな聲で叫びだす者があつて、忽ち、石油を一時に注ひた樣にポツト燃え上つたのだ、其勢は實に熱烈なもので會員は東奔西走、殆んど夜の目もまんじりと眠らなかつた位ひであつた、斯して集つた繪は二百五十餘點、其中から百七十黙點だけ撰むで陳列することにした、それが各く額椽に入れてあつたのは、地方の展覽會としては珍らしい出來であつた。會場は壬司町丈關尋常小學校内で、三室に別つて陳列した。作品は水彩畫が最も多數を占め、油繪、パステル等もあつた、總て小品の多いのは止むを得ないが中には半切位な、可なり大作も數點あつた。出品者は杉田、安廣、森川、阿川、赤松、南保、鳥越、淺枝、名古屋、萩野、德永、前原、小石、勇士、東の諸氏と外に數名であつた。全體を通じて一種の地方的空氣が漂はぬでもないが、數年前の地方で見ろ樣な版畫的な臭味は全然脱して、清新の氣が溢れて居た。或る一部の者は極く現代的な思想を以て萎縮した鼠色の感じの弱ひ、地方的因習を破壞しっゝあるのに嬉しく思つた。入場者は兩日を合して一千百數十名を算したのを見ても如何に此會の盛會であつたかゞ分る、尚又此企に關して敎育家諸氏の多大なる御同情ありしを感謝すると同時に大いに會の誇りとする所である。 (J、A)

この記事をPDFで見る