讀者の領分


『みづゑ』第八十四
明治45年2月3日

 新年號の『みづゑ』はなんとなく、なつかしいものでした。殊に、表紙のコスモスは『四十四年の秋』を思はせました。私にはあの可愛いらしい水鳥と、故先生の愛兒であつた『みづゑ』とは同一のものであるやうに思はれてなりません||テツタロ||
 皆樣新年は御芽出たう存じます、然し私は先生の御在世の樣に今年は御芽出たいやうに思へません。『みづゑ』には毎號先生の水彩畫と御遺稿を掲げてくださるので、まだ先生が御達者で御在でなさる樣な氣分も致します(大坂桃山より)

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