日本畫と西洋畫の區別

中村不折
『みづゑ』第九十 P.3-4
大正元年8月3日

 近來美術家や批評家など云ふ人々が、寄るとさはると日本畫の前途とか、西洋畫の前途とか云ふことをしきりに論じる。夫から我々の處ヘ新聞記者などが矢張りこんな問題を持て來る。
 此日本畫とか西洋畫とか云ふことは畢寛するに形式の問題である、未だ人爲の境涯を脱け出すことの出來ない議論である、見解である。若しも眞實に美術と云ふことが根底から分つたならこんな狭い議論は出まいと思ふ。
 今日、日本畫と云ふて居るものを見るに、夫は多年の陶冶を經て日本の物となつて居ると云ふては居るが、其實は矢張り支那の技術を幾分か日本的にこなしたと云ふことに過ぎぬ。今日西洋畫と稱して居るものも、やはり是と同じ樣な譯合で、西洋の物を持て來て今正に摸擬の道筋に居ると云ふ樣な有樣である。是から後段々に西洋畫がこなれて往て日本の物になるのであらう。
 藝術と云ふものが形式に捕はれ形式の中を働くとするならば、今日西洋畫と云ひ日本畫と云ふ樣な名稱は先々穏當と云つて然る可きであらう。然るに技術なるものゝ原則はそう云ふ樣な狭く範圍内に捕はれて居るものではないと思ふ、夫で今後の美術が益發連して往れならば、作家は自分の思想を現はさんとするに忠實なるが爲に、又其支那の技法であると若くは西洋畫の技法と云ふことを問はぬ樣になると思ふ。
 夫で油繪具を使つて自分の思想を現はすに適して居るならば遠慮なく其ものを使用する。若し又東洋の墨や繪具を使つて夫で自分の思想を現はすに適當であるなれば、即ち夫等の器物を使って縦横に自分の思想を現はすと云ふことをする。而した時に出來た藝術は今日の所謂日本畫と稱し、若しくは西洋畫と稽して居る樣な區別はなくなつて仕舞て其處に一種の純粹な日本の藝術が出來ると思ふ。
 或は西洋の法に據るとか若くは是等の技術を捏ねまぜげ、折衷の方法に據る、さう云ふ樣なことを云ふて居る間は實は準備的の時代とも云ふべき時代であつて、本當の日本の藝術と云ふものは少し譯が違ふと思ふ。
 夫で今、日本畫の前途如何など騒いで居る間に十人は十色、百人は百色の方法を採て進で行く、曰く古法の研究、曰古畫の踏襲、日南北宋の摸倣、曰く實物寫生、曰西洋の畫法、ヱジプトの古技、ギリシヤの遺法或は印度の繪畫、チベツトの佛畫など云ふ變つたものを味ふ人も出て來う。
 兎に角吾人の周邊に映じ來る千種萬態亦吾人の腦髄を刺撃し思想を呼び起して、我々をして煩悶なさしめ奮發せしめずんばやまぬのである。而し一寸の間も休まないで、始終活動して居るものである。
 かく錯雜の状態で居る者が、何が故に日本畫西洋畫など云ふことの單純な名稱で極めることが出來樣や、決して此樣な單純なもので解決は出來ぬのである、洋々たる日本藝術界の前途は近眼者流の思ひ及ぶことの出來ない靈妙不可思議な活動の結果、他の何れの國にもない所の特別な藝術が生れ出す原因になるものと思ふ。夫で日本畫の前途西洋畫の前途と云ふ樣な下らない問題に焦せつて居るよりは、もう少し目を世界の大局に注いで、他日、大成する所以の道筋を研究せんことを我々の希望する處である。
 此駸々として矢の如く速かに進んで行く處の日本の藝術は幾何の年もなく偉大の光明を放つて、世界の人のとても思ひ付かぬ面白いものが出て來るといふことを豫言するに憚らぬのである。

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