英國水彩畫家評判記(一)

石川欽一郎イシカワキンイチロウ(1871-1945) 作者一覧へ

石川欽一郎譯
『みづゑ』第九十 P.12
大正元年8月3日

 サー、アルフレヅド、イースト氏
 イースト氏の畫は毎も装飾畫的傾向を現はして居るが、之は氏が畫を描くときに、細密なる用意を以て、最初から考案を立てゝから着手するので、どこまでも此目的に依て畫が出來上がるからである、其時の都合次第に畫をこしらヘて仕舞ふなどゝ云ふとは決してない。
 殊に此人の水彩畫は簡明直接に、現はさうと思ふ通りをよく描き現はして居る、筆を尠なく、また目的に對して無用のものや錯雜を來たすやうなものは省いてしまひ、如何う描けば題意が一番よく現はれやうかと云ふ方法を充分心に先づ決めてから着手するのであるから、畫が簡明直接であると云ふのが、即ち此人の作畫に對する用意の自然の結果に外ならぬのであると云はれやう。
 どう云ふ風に描くかと云ヘば、此人は初めに鉛筆で輪廓などを取らない、毎も紙を畫板へ水張りにして、其濡れてゐる上ヘ描きはじめるやり方であるから、鉛筆で輪廓などを取るわけには行かないのである、紙面が乾いてしまふと表面が締まつて稽や堅くなるから筆の走りが濡れてゐる時のやうによくは行かない。之をイースト氏は嫌ふので濡れてゐる處へ描くのである。
 鉛筆の輪廓の代はりに、筆で薄色を以て大體の圖取をする、其上にドシドシ描いて行く、色や調子を出すに何遍も色をかけるやうなことはやらない、水彩畫と云ふものは紙へ色を一遍塗つて、其儘觸らぬ方が發色も鮮明で光澤も一番宜いと云ふことを此人は毎も考へて居るのである。併し水彩畫をかくに幾多の方法のあることは無論承知して居るから、どれが一番よい方法であると云ふことは決めないのであるが、自身の目的に對しては一遍塗つた色には觸はらぬのが最も適するものとして、最も鮮明簡潔なるを尚ぶところから、筆數を尠なく、まれ發色の透明を害はぬやうに、一遍着けた色ヘは觸はらぬやうにする、筆數を多くかけたり洗つたりするのは、修正の爲めか又は圖取を變更するための手段で、正當なる水彩畫の描法ではないと決めて居るのである。
 イースト氏の使用する筆は、大きい畫には獅子毛の大筆を用ゐる。これは色がタップリに着いて豐艶なる趣が現はれるのであるが、通常は貂毛の兩頭の筆を用ゐる、両頭の筆と云ふのは軸の一方ヘ大きい筆、他の一方ヘ小さい筆を嵌めるのである、螺旋になつて居て取り脱づして懷中することが出來る持らへかれである。
 色數は多くは用ゐない、餘り多いと反つて五月蠅いからである。
 通常イエローオーカー、ぺールカドミユム、ヂープカドミユム、ローズマダー、コバルト、フレンチブリユー、トランスパレントオキザイドオフクロミユム、ターナーブラオン、ウオームセピヤ、ローアンバーの類で、時としてはアイボリブラツク、ヴエネシヤンレツドなども用ゐる、其他特に必要のある場合に其色を加ヘることもある。
 パレツトは穢なくして置いても構はないと云ふ意見で、これは穢ない方が住々都合のよい色が獨りでに出來るからと云ふわけである。
 

六月例會出品奥村博

 サー、エルネスト、ウオーターロー氏
 ウオーターロー氏は英國王立水彩畫家協會の會頭であるが、此人は忠實なる寫生家でまた艶麗なる意匠家である、其風景畫には一種の妙味を有し、瀟洒たる作風を現はしてゐるが、併かも繊弱ではなく雄健、明快、畫面の空氣の趣味などよく現はれて居る。
 氏の描法は簡潔を尚ぶ。眼に見える通りを其儘描いて、充分に意味を現はそうと云ふのが目的であるから、自然の感じを正確に現はすためには最も簡明なる手段に依るのである。
 勿論此目的から、得意の畫材が自から決まるやうなことにもなるが、併しそれに拘泥したりまた慣用手段に陷るやうなことは毫もない。殊に自然に見える色彩の鮮麗と清澄とを現はさうとするところから、作畫の初に紙面を濡らすことをしない、何故かと云へば乾いた紙面へ色を塗つた方が發色が鮮明であると云ふわけである。それに色の濃さは大抵最初から一遍に必要の濃さに塗つてしまふ、上へ幾度も注けては發色が悪くなるからである、又落筆が固くならぬやうにするには水彩畫特有の流し込みを巧く利用するので、殊更に柔かにしやうとして手を入れることもせず、また強く描いて段々洗って趣を出さうと云ふやうな細工もしない。
 戸外寫生の場合には畫面の大さを毎も决めて、大抵四切位の處でやる。之は一度か二度で仕上がるからである、若し畫題が複雜して居るか畫面が大きいものならば、現場に於て幾枚も習作をこしらへ之を基として畫室内で仕上げるのである。紙は畫嚢に入れて携帶し、寫生の時には之を膝の上ヘ載せて向ふへ一本支棒をかふ。氏は畫架を用ゐるよりも此方が便利だとして居る、之れは畫面を思ふやうな角度に手早く變更する事ができるからである。
 氏の大きい水彩畫は何れも畫室内で習作や寫生から仕上げるのである。大きいものを戸外で寫生することは本當ではない、描いて居る内に手間がられるから初め受けた印象が消える恐れがあると此人は云つて居る。畫面の大さを限つたことは、氏の經驗上、畫面が小さければ餘り註文を大きくさヘしなけはば大抵初めに狙をつけた通りに描き上げることが出來るけれども、畫面が大きくなれば往々中途で迷つてくるからである。一度で仕上げやうとするには畫面は大きくないのが宜い、大きい畫面を急いで仕上げては毎も物足りない處ができる。また幾度もかゝつて仕上げた寫生には往々考案の錯雜が生じて畫題の明確を缺くやうになる。
 氏の描法は實際的で、常識と技術の熟練と相俟つて行くのである、戸外寫生は皆畫室内で仕上けるべき大作の下地であるから、元より充分に自然の趣を現はしたものでなければならないから其目的を以て寫生するのである。
 氏が通常使用する繪具はコバルト、セルーリユム、インヂゴー、オルトラマリンアツシユ、イエローオーカー、ローシエンナ、レモンイエロー、オーレオリン、カドミユム二號、カドミユムオレンヂ、ライトレツド、ヴアミリオン、ロースマダー、ピンクマダー、プラオンマダー、ローアンバー、バーントシェンナ、チヤーコールグレー、及び時としては、フレンチブリユー、リヤルオルトラマリン、コバルトグリーン、コバルトヴアイオレツト、ヴアンダイクブラオン等である。
《ボードレー氏著「水彩畫實習書」より》
 因に、兩頭の筆は此頃文房堂で試めしに製作中であります、工合よく出來たならばまたお知らせ致しませう。欽、

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