玩具より受る國々の色彩
礒萍水
『みづゑ』第九十
大正元年8月3日
私は、誰よりも、何よりも、玩具をまたない愛慈ものにして居る。
けれど私の玩具の富は恥かしい、私の門より外には出せない、その分量は、二人の嬰兒のを合せたよりか聊か多い位のものだ。
然し私が玩具に對しての愛情は、何人に對しても一足も負をとるのではない、室を埋むる程の數を盡して居る人々は、量に於ては私なぞの及びも付くのではないが、その人々は唯種類の多くと數の大を以て誇として居る他に、玩具に對して些の同情も慰安も持つて居るのではない。
友達に手紙を書かない夜はあつても、讀みさして紙小刀を挿んだ儘の本はあつても、机の前に座をしめて先づ玩具の箱を開かない晩は一晩もない、實際一晩もない。
病の床にあるの時、本を讀んでは、肩が寒し、手がだるし、障子の棧も數ヘつくし、天井も眺め飽きた時、枕邊の棚に玩具の好きなのを並べさせて、眤と見て居ると、何とも謂へない穏かな氣分になる、暢びりした、温かい、暗々しい心になれて、自分と謂ふものも忘れてしまつて、玩具のあるのも忘れてしまつて、念もない、想もない、私は禪を學んだ事はないが、這時の氣分はそれに近いものであらうと思つて居る。
私はひそかに幸福だと思つて居る。
私は絶えず斯う謂ふ事を考へる、私が這麼に玩具を可愛がつて居ても、私の子供が私と同じやうに可愛がつて呉れるのだらうか、もし絶對に私の趣味を踏みにじる人間であつたらば何うしやう、私はこれを遣して死にたくない、その上は唯私の棺の裡ヘ納れて貰ひたい、そんな事を考ヘて寂しい心になる。
私の癖として、つひ話を拔途ヘ入れてしまつた、私は、玩具より受る國々の色彩を語らなければならなかつた。
私は學究的の研究をしたくない、歴史にもよらず、心理をもたどらず、風俗をも考へずに、單に自分の前にその玩具を並べて、直接にそれから受ける色彩の感應、それによつて國々特有の空氣が印象されるのをまたなく嬉しく思つて居る。
私は先づ江戸を中心として研究したい、然しその前に最も味のある一條の挿話がある。
三個の鳩を並べる、これは昔よく小供の手遊びの中で最も幅を利かした彼の鳩笛である、疎末な土製で、淡彩が施してある、一羽はその姿があの熊谷の紋所の鳩のやうに、如何にも人慕かしげな、初々しいので、色は腹から背にかけて薄い黄に塗られて、尾のあたりに黒々と二筋の尾がかいてあつて、背の上部から首全體は、何んとも謂ひやうのない、朗かな、濃い、鶯に塗つてある、眼は白く輪がかいてある。次ぎの一羽は前のよりも背がつまつて居る代りに、丸々と肥えて、小供小供して可愛らしい、首を褪赫に、?を白くして、翼のあたりに一筆ぽつとりと草色の一刷毛、その線と逆に墨で山形をさかに描いて、尾は三筋上に向けてはれてある。一羽は形からして世間並でない、あのよく田舎ヘ行くと爐へさし込んで火燗にする時にもち出される、鳩と同じ形で、それこそ鳩胸で、輪廊が劃然と、刃物できりとつたやうに見える、胸ばかりを赤土色に、背をやや濃い黄にして、中程をのこして頭の上と、尾の眞中とヘ濃い褪赫で太い一筆がかいてあつて、兩翼のあたりへは草色で三筋づつの線が暢氣になすりつけてある。第一の鳩は如何にも氣が利いて世の中を知つて知つて、知り盡して、所謂通人らしい顏をして居る、その着物の色も澁い、紅にも紫にも飽き果てたのが現に見える。第二の鳩はどことなく、おつとりして居る、公達の面影がある、世の中の味なぞは露も営めた事がない、無垢のお坊ちやん育ちではあるが、侮るべからざる威權がどこかに僅見える。第三の鳩は宛然野の人の風があるが、一點飾らざる自然の儘のみの姿は、誰の眼にも格別の異つた美しさを感じさせる。
私はこの三羽の代表者を、一人づつ三人の友達に三度に見せた、そして試みに問ふて見た、『君はどれが一番氣に入つたかね』、旅役者を親父にして藝者を母と呼んで居る一人は、見るなりすぐと第一の鳩を指さした。
京の小鼓打の一人娘は、第二の鳩を掌にのせて、『これいつちいとしうおますア』
山を描き雲を寫す事を生命として居る畫師は、さもさも慕はしい文にでも逢つたような輝く眼をして、少時はその鳩を放さなかつた、第三の鳩を。
私は餘りの事に、自分が莫迦にされて居るやうな氣がして成らなかつた、闇で放さした矢はものも見事に的の眞唯中をぐさと貫いたからである。
第一の鳩は江戸生れ。
亡き旅役者も母なる藝者も江戸の風に吹かれて育つた人であつた、私の友達の脈管にも依然江戸の血は流れて居たのだ。 第二の鳩は京は男山八幡の使者、小鼓打のその娘は、見るなり、その姿、その色彩によつて、直ちにそれと心にこたへたののか。
第三の鳩は、鹽尻からかけて木曾、松本のあたりを自個の領地とする、山を家とし山を墓とする我が友の畫伯は、その國の色を愛して居れのだ。
人間は誰に敎えられるともなしに、自分自分の故國の色彩を胸に蓄へて居る、そしてそれを慈しんで居る。
嬉しき心の人々よ、健康なれ、その國々の色彩と共に。
私は斯うした不用意の試みから、ふと釣込れて國々の色彩を伺つて見たくなつて、それから後、貧しい研究を、研究とも謂べない程に重ねて見た。
中心とする江戸に一歩を踏入れる前に、私は日頃愛誦して居る一句を先づ高吟する、『麥藁の處が鳴くなり春の風』虚子であつたか、子規か、碧梧桐か、根岸派とは覺えて居るが、誰であつたかは記憶して居ない、如何にも春らしい、暢氣な、その昔の大森あたりの麥藁細工の店さきが浮んで來る、私は句の巧拙は知らないが、玩具に就て聊かなりとも思慮をもつて居る私達には、句の現はしてある以外に、贔屓にしたい分量と味ひがある、麥藁の虎、それが鳴くと謂ふ、春の風はゆるく吹いて通る、我が虎は、此時奈何に首をふつたであらうか、ゆさりゆさりと大きくか、ふわふわと小さくか、いづれにしても御機嫌がよかつたには相異ない、鳴いても、悲しくつてや、腹が立つて鳴いたのではない、天氣はよし、風が輕く顏を吹いて、髭をそよがして行く、將軍有繋に心浮き立つて、思はずも何かお唄ひなされれ、と謂ふ樣がほの見える。
あの麥藁の無網工な、都てが丸つこく出來あがつて、藁の折目が虎の筋肉の逞しいそれのやうに見える、豪傑らしく首をふる態度、私はほとほと悦しくなる、分けても眼にのこるのはその染められた黄の色である、藁によつて一種の光澤を放つて、さもものものしげに日に輝く、私が江戸に入る初一歩にこの虎を推賞する由縁のものは、その色が如何にも脱俗して、藁によつて虎の猛々しい色彩をユーモアー化した不用意の中に生じた自然の面白味である。
江戸に入る關門に咆哮する麥藁の虎に對して、京の大森と謂ふべき大津に於てこれに相對立させたいのは、彼の九月の四宮祭の日にのみ限られて賣られる、曳山十四番の中の南保町の猩々である。
猩々は、燃えるやうな髪の毛を肩に浪うたせて背から裾までふりさげて居る、血よりも紅い大口をはいて、背よりも長い長柄の柄杓を杖について居る、然し張子だ。
私は考へると面白くつて堪らない、關八州の入口には、虎が番をして居る、紫震殿への門口には、猩々がそそり立つ、一は武藏野を背景として、一は琵琶の湖を前に叡山を後にして、然しそれが、麥藁と張子であるから私はほんとに嬉しいのである。
偖私はいよいよ江戸に踏入る、注意しておくが私の踏入るのは江戸だ、いまの所謂東京ではない、三百年來の江戸の色、何であらうか、私はそれが覗きたさに麥藁の虎のもとを後にしたのだ。(つづく)