逓信博物館創立滿十週年紀念特別展覽會を見る

赤城泰舒アカギヤスノブ(1889-1955) 作者一覧へ

赤城泰舒
『みづゑ』第九十 P.23
大正元年8月3日

 五月雨のそぼ降る或る日の午後、逓信博物館で催された展覽會を見に行かうと思ひ立つた。
 竹川町で電車を捨てゝ橋を渡ると、煉瓦と石で造られた、廣壯な建物が嚴めしく、空の廣い部分を覆ふてゐる。建物について右ヘ廻ると正面へ出る。荷場や何かで混雜した川を越へて新橋ステーシヨンの汚ならしい建物に向き合つてゐる。
 只でさへ薄暗い此の頃の天候に大きな石造の建物の中は押しかぶされゝ樣な暗い空氣が室中に滿ちてゐる、
 種々な運送に關した器物や、模形が歴史的に陳列されてゐる其中の一室には全國の郵便局に奉職されて居らるゝ人達か、職務の爲の僅かな暇で成された、日本畫や西洋畫が陳列されてゐる多くはアマチユーアであるから隨分幼稚な作品も澤山あるけれども繁雑な職務の餘暇を用ひられて此の美しい趣味に浴して居らる、人達の澤山に有ると云ふ事は誠に喜ばしい事である。
 西洋畫の出品は總てゞ五十二點、其内水彩畫は二十五點ある。
 光線の工合惡く其爲に中には非常に害されて居る作品もあつた。
 日本水彩畫會研究所の吉田豐氏は、此逓信博物館に務めて居らる人で、夜間研究所に通學せられてデツサンの研究に餘念のない人である。氏の出品は點數の多いゝと共に、場中で格段の異彩を放つてゐる。中でも「夜の女」は氣持のよい畫だ。全體の黄色い感じも面白い、ヒステリツクな而して淋しい其顏は、何物か暗い陰の思はるゝ樣だ。難を云ヘは色か輝いて見えずに色に見える爲か一寸汚ならしく見える點がある。兎に角場中の傑出しれものである。靜物「シネラリヤ」も簡單で嫌味のない面白い作品だ、「五月の野邊」、大きな雄健な筆に面白い點もあるが、わざとらしく色に見え過ぎて、當てはまつて居ない、「畫室の夜」には形にも不満足な處があつた。畫面の大きい爲か「夜の女」程の面白味は見出されなかつた。
 森貫一郎氏の出品は二點程あつた、共に光線の工合惡しく完全に見る事さへも得なかつた。「葡萄」「曙光」と題せられてあつた、私は前者を取る。共に色が寒く固いように見えた。
 中村元吉氏の「微笑」は面白い出來だが、日向も陰も色が非常に固かつた。「夏の初め」には氣持のよい處もあったが、物足りない處もあつた。
 産坂楊亮氏の「近松戯曲」は面白く見られた、然し白つぽい色が餘り高尚には見られなかつた。東尾育藏氏の「澱川岸」も小品ではあつたが面白い作品であつた。
 吉田君に導びかれて館内の處々を歩いた、四時が鳴ると館内の隅々から柏子木かが鳴り出した。大きな建物に反響して、耳の底をえぐらるゝ様な音に送り出されて、雪崩れ出る人々に交つて裏門を出た。

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