海外美術界雜爼


『みづゑ』第九十 P.24
大正元年8月3日

■佛京では、此頃、第八回色刷展覽會が開かれたが、仲々世間の耳目を衝動させたそうである。中でも彩色エツチングの開祖Raffaelli氏の作品「巴里セーヌ見物」は、ことに勝れたものであつた。色彩を用ひた各種の版畫が流行の氣運に向ふて居ることが此を見ても解る。
■同じく巴里で、「佛國の寺院」てふ一種風變りな展覽會が行はれた。古來の名刹が漸く荒れ行くを悲んで、せめて今の壯麗を畫にして残さう、と云ふが動機で、各家擧つて其受持々々の寺の寫生を出陳した、例へばモネーはルエンの大本山、ラフエリーはノートルダム寺院といふ工合であつた。
■技巧をば、繪畫研究の唯一の道と心得て居たのは既に過去の話に過ぎないが、其傾向は一方極端に走つて、近代の若手連は筆致等を一概に鼻を括る樣になつた。所がまた妙巧なる熟練技倆を呼號して立つ畫家の團體が、其所、此所に見え出した。特に此頃デンマルク等は、目に立つた活動を始めたのである。元來寒天巨浪に錬はれた、歴史的、保守、頑固、執根強き同國民は、所謂輕薄なる新思潮が襲ひ來ても、常に門前拂を食らはして居たのである。今回奮然立つて、翻したる旗幟は仲々見醒しきもので、眞面目に研鑚を積むだ熟達、巧妙の如何に力強きかを示したそうである。本號にハンゼン氏の「我母の肖像」と云ふのを寫眞版として示す。之を見ても所謂新らしいが、小兒の描いた畫が理想的である等と云ふ言葉を勝手に濫用して、怠ける口實を造り出し、自分のむら氣を矢鱈に塗り出したに過ぎない晝が、如何に貧的にして憐む可きかを見るに足らう。
 

我母の肖像ハンゼン

■獨乙では、此頃美術品の輸出が非常に減じて、同時に外國美術品の輸入が非常に増加して居るのを苦にして居る摸樣である。特に近來獨乙の美術家の數が、彌頭々多くなつて來たから此工合では美術家の饑饉も滿更無くはなからふと、所謂公益好きの國民は種々な協會を對立したり、合併したりして、獨乙現代美術を外國ヘ紹介するに努めて居るそうだ、特に其目指す國は太西洋を越へた米國で、其地の賣行きを大に勵むで居る由である。

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