寄書 感じた事
湯淺竹次郎
『みづゑ』第九十
大正元年8月3日
みづゑ第八十九號の挿畫、甲州御嶽の奥、大下先生の上高地には、實に、敬服の外が無い、勿論、彼んな感じの處は、多少旅行をすれば、有るは有る、併し其描寫となると、中々至難である、所謂、何でも無い樣でソウは行かぬ。
僕大下先生のスケツチと丸山先生のスケツチ二枚を藏して居る、之れを手本として、昨日は東、今日は西と各處は寫生を試みるが、まだ自身に満足(自分丈けの)が出來ない。
箇性(私の)の然らしむる處と、これより此個性描寫に據り勵精し居るなり。
近來大家達から水彩畫の指針たるべき、各種の著作が出る、其書中の頭目には、先づ順序として、必要なる備ふべき繪具の名稱が、列記してある、又郊外寫生として之れならばと、參考に携帶すべき必須色彩も掲げて在る、僕も、種々風景畫を試作して見たが、未だ、首肯し難い、只僕一個の意見として、比較的之れならば、大抵其感じを出すに適切と愚考する者を、左に摘記する、諸君も御研究の結果は、本誌上、御發表を賜へ。
クリムソンレーキパーマネント、バーミリオン、レモンヱローネープルスヱローカドミユムヱローチャイニスグリーン、コバルト、オルトラマリン、ミネラルプリユ、バーントシヱンナ、ライトレッド、ホワイト、バンタイキブラウン、右の拾三種とす、紅色としては、此外りに、カーマインや、ピンクマツダーが有るが、前記の二色でも充分と思ふ。
黄色の裡でも、普通、ガムポージ、イヱルロオークル、クロームヱルロ、などあるが、ガムボージは僕には何だか日本畫的の色彩を出す樣で嫌ひ、又イヱルロオークムはネープルスとカドミユム及びホワイト等の混合でも出來樣。
緑にフーカースグリン、ヱメラードグリーンが有ゐが變色の爲め避けた、ヱメラードは、花々敷色だ、が仕方が無い。
藍色にはコバルト、もよい樣な者の、流石ミネラルブルーも捨て難い。
バンダイキブラウンも支那人的の色彩で、他の水彩畫的色彩と平衡が外れる樣に感ずるが、僕には今の處、缺かれぬ。
ニユトラルチントは郊外では、先づ必要、僅微と思ふから除外した。
總じて僕は永久、パーマネント、と云ふ事を好むから、先輩大家から變色し易ひと聽いては、一刻も、使用するのは好まぬ、ドシドシ止してしまふ、前記の拾三種も、此較的變化せぬのを主眼とした。
嘗て專門の各雜誌や、本誌にも、チユーブ入り、同じ色でも其製造社に據り、發色が異ふとあつたが、僕も、實地仕用して、其眞なるを痛切に、知得した、其色はクリムソンレーキと、ピンクマツダーと、カドミユムの三種だ、(此以外にも有らうが)最初六銭のチユーブ入りで、ピンクマツダーは白堊に僅斗り紅色あきた色、カドミユームはヱルロオークルと、インデヤレヱルロと交ぜた如きものだつた、處が其後生粹のニユートンや、佛のルフランを使つて見ると、可驚、相異と其發色の鮮麗に驚嘆した。
或人は寫生にホワイトを使はぬと云ふ、或人は使ふと云ふ、其佳、、不可は僕は之れを云々せぬが恐らくホワイトを用ひずしては、到底、忠實なる空氣や、遠近の稱明は出來まいと考ふ。